30歳でプー太郎になる(なろうとする)。

これはいい年こいて、モラトリアム真っ只中のひとのつぶやき以上戯言未満。

人の前に立つ、ということ

いつからか、気づかされた

 

人の前に立つということは、批判を背負うということなのかな、って

 

誰かがおれらの向かう道とは違う方向のことを言って来る

 

それは単純に価値観の違いを訴えてくるだけかもしれないし

 

妬みや嫉みなのかもしれないし

 

人の前に立つことがなければ、その声を浴びることもない

 

逆を言えば、人の前に立つということは、それらを一身に受けるということなんだ、と。

 

それを覚悟の上で走り続ける。

 

発信すると同時に受信もする。

 

それでももちろん諦めないし

 

それすらを取り込んでエネルギーにする

 

それが「無意識」にできるようになれば一流で、意識的にやってるうちはまだ三流。

 

もちろん、この記事に書いてる時点で意識してるからおれは三流。

就職活動

もうだいぶ前の話。

 

部活しかしてなかった焦りもあって、狂ったように就職活動をした。

 

受けた会社は200社ぐらい。

話を聞いたのはその倍以上。

この10ヶ月ぐらいで不勉強分を取り戻そうと、本も読んだし、多くの友達も作った。

まさにカッサカサに渇いたスポンジのごとく吸収しようと必死だった。

 

今振り返るととても刺激的で、この経験がなければ間違いなく今はない。

このたった一度の貴重な就職活動を確実に自身の成長に繋げられたと思っているし、もっとやっとけばもっと吸収できたとすら思う。

 

人生のターニングポイント。

 

自分の人生について、がむしゃらに考えた。

何度も考え直した。

そして、今の会社にいる。

ほんとに、ひとつの後悔もない。

むしろ、この会社に入ってなければ今の自分は無いと思うと恐ろしい。

 

就職活動中に多くの言葉に出会い、力を貰った。

その中でも印象的で覚えているのは

 

「運と縁と勘」

 

という、言葉。

語呂の良さも相まって、力みがとれた。

きっとどこかにある何冊もの就活ノートの片隅にこの言葉が残ってるはずだ。

 

この会社を離れることも、またこの言葉の通りどこかに繋がってるんだと思う。

 

明日、学生と会う。

これから就職活動は熱を帯びてくるのだろうか。

 

今の自分の想いを素直に伝えられるかな。

消費と生産

この世界には

 

ナニカを生み出すヒトと

 

ナニカを消費するヒトがいる。

 

誰しもツクル喜びは知ってるはず。

 

その想いにずっと素直でいられるヒトが今の世の中にナニカを生み出しているんだと思う。

 

ツクリたいと思っても、思ってるだけではカタチにならない

 

行動しないといけない。

 

ナニカをツクリたいという想いを素直に受け入れて、その想いを昇華させるために動き続けてるヒトはとても輝いて見える。

 

そこには損得もないし

世間体もないかもしれない

周囲からの圧力を感じても屈することはないだろう

 

何があってもナニカをツクル、ってことは自分を大切にすることを貫けるヒト。

 

自分の声に耳を塞いでしまったら、誰のために生きる人生なんだ

不安

不安はある。

めちゃくちゃある。

毎月何十万も継続的に振り込まれていた今までと

全くなくなるプー太郎。

 

でも、お金はどうにかなる。(気がしている)

けど、時間はどうにもならない。(これは確信)

 

これだけ。

ほんとにこれだけなんだ。

 

きっと、どこかで、何かができる。

自分にお金がなくても、今まで積み重ねてきたことたちが、力を貸してくれる。

 

プー太郎になろうとしたとき、

色んな人の表情が浮かぶ。

色んなことを言ってくる。

 

その中に、支持する声が聞こえてこない。

きっと、絶対、あるんだけど、反対派の大きな声にかき消されてるのかもしれない。

それか、おれの耳が悪いか。

 

不安の正体はなんとなくわかってる。

誰かに背中を後押しして貰いたいわけでもない。

 

でもいい。

それでこそ冒険だ。

誰も求めてない航路を行く。

それがひとつの物語を紡ぐ。

 

おれだけの人生がおれを待っている。

他の誰かが羨むそれでなくとも、それだからいい。

誰のあしあともついてないその道こそがいい。

 

少し酔っぱらってる。

 

これが正直な今の自分。

サラリーマン

この響きがもつ、ネガティブさったらない。

名付け親のネーミングセンスに脱帽。

 

もちろん、企業勤めだって立派な生き方。

一概に否定するつもりもない。

でも、同棲してるあまのじゃくは好きじゃない。

 

子供たちの希望の職業にはならないだろうし、なって欲しくない。

でも、多くのオトナタチは安定を求め、定職をすすめる。

そんな絶妙なバランスをもつのがサラリーマンだな、と。

 

自分のやりたいことをやることが唯一絶対の正義じゃないけど

自分の正義はサラリーマン生活の延長線上に見えない。

 

ただ、それだけ。

 

就職活動をしているとき、こんな死んだ魚の目をしているサラリーマンには絶対なりたくない、と思ってた。

 

今のおれはそうはなってないと少なくとも自分では思って、いる。

どうなんだろう?

こればかりは自分ではわからないか。

 

でも、サラリーマンを経験できたことに後悔はないし、今の自分になれていなかったのだから必要な時間だったと思う。

 

あとはこの経験を、自分の未来に繋げないと。

うちはおれが10歳ぐらいの時に離婚をした。

辛そうな父と母を見て、自分が生まれたことの意味みたいなのを子供なりに考えた。

 

僕が凄い頑張ってまた一緒に暮らしたくさせよう。

 

本気でそう思ってた。

自分ながら感心する。

そのおかげでテストは満点を連発し、通知表はオール5を取った。

でも、家族が元に戻ることはなかった。

 

母に育てられたが、籍は父のもとだった。

大学は父の家から通うことにした。

金銭的な理由もあるし、一緒に暮らさないと後悔する気がした。

今でも悔やんでいるのは父は別居してしばらくして、トラックにはねられ大怪我をして入院した。

とても辛い時期に見舞いにもいかなかった自分は取り返しのつかないことをしてしまったんだ、と。

 

少しは親孝行ができるかも、と一緒に暮らしていたが、それがとてもしんどいものだった。

父の中でおれはまだ11歳だったから。

尋常ではない過保護さに嫌気がさした。

加えて、酒癖の悪さのダブルパンチ。

母や妹、親族に対する思いをぶつけるのはおれしかいなかった。

 

情けない父親

 

そう思ってしまった。

自分のたった一人の父親なのに。

幼いころは厳格で、その教育がなければ今の自分はいない。

 

おれ、仕事辞めるわ。

 

父に言ったらどんな顔をするだろう。

なんて言うだろう。

めちゃくちゃ反対されるのかな。

死ぬまでにしたい10のこと

映画のタイトルから拝借しました。

 

そらもう、30歳にしてモラトリアム真っ只中の自分には響く映画。

英題は「My Life without Me」

 

自分が今プー太郎になろうとしているのは、自分が死ぬまでにやりたいこと達がこのままではやりたいと思ったままで終わってしまう気がしたから。

 

例えば、世界一周したいと思ったとき、サラリーマンだったらそれは30年後ぐらいになる。

定年退職してからゆっくり妻と。

それもいいと思う。

でも、おれは嫌だ。

今行きたい。

今行った方が、その後の人生の楽しさが全然違う気がする。

全てなんとなく。

根拠はもちろんない。直感だ。

 

やりたいことはもちろんたった一つじゃない。

何個もある。

それらを線で結んだとき、サラリーマンをしながらでは物理的に不可であることは誰の目にも明らかだった。

 

このまま出世していったら、多分毎月何十万円も貰える。

安定感抜群。

でも、取り返しのつかないことを自らの手で自分の人生にしてしまうことになる。

 

たった一度の人生。

取り返しのつかなくなる前に行動しないと。

 

 

■死ぬまでにしたい10(ぐらい)のこと

 

1.世界をだいたい一周する

 

2.映画をツクる

 

3.起業する

 

4.コーヒー屋をやる

 

5.けん玉を流行らす

 

6.結婚して家族を持ち、妻と子供を育てる

 

7.理想の家を建てる

 

8.仲間と目標を達成して盛大にビールかけをする

 

9.とても大きな絵を描く

 

10.ド派手なパーティを開く

 

11.自分にフォーカスされたTV(情熱大陸)に出る